燦燦(さんさん)農園の洋一は、土の力を信じて、肥料も農薬も使わない自然農法を始めた。最初の数年は、太陽の光をたっぷり浴びて、ミカンの木は甘い実をたくさんつけた。「自然の力はすごいなあ」洋一と妻の夕子は、黄金色に輝く畑を見て微笑み合った。

ところが、自然農法を始めて三年目の秋、信じられないことが起こった。まだ青々としているはずのミカンの葉が、まるで命を使い果たしたかのように、はらはらと舞い落ちてしまったのだ。「どうしてなんだ…」洋一は、裸になった枝を見上げ、胸に冷たいものが広がるのを感じた。

次の春、ミカンの木は最後の力を振り絞るように、狂おしいほど白い花を咲かせた。でも、その花は一つも実を結ばず、風に吹かれて雪のように散っていった。そして、木は静かに力をなくし、一本、また一本と枯れてしまったのだ。夕子は、その儚い花びらをそっと手にすくい、「ごめんね…」と涙を落とした。

洋一は必死で新しい苗木を植えたが、それもすぐに元気をなくしてしまう。何をしてもダメだった。畑は沈黙し、夫婦の会話もいつしか途絶えがちになった。洋一の心は、出口のない暗いトンネルをさまよっているようだった。

絶望の淵を歩いていたある日、洋一は散歩の途中、村の神社の大きな楠の木の下で足を止めた。何百年もの間、ただそこに立ち続けてきたであろうその姿。空を覆うように大きく枝を広げ、大地を掴んで離さない力強い根に、洋一は圧倒され、知らず知らずのうちに手を合わせていた。「教えてください…」声にならない声が、彼の唇から漏れた。

「なぜこの木は、誰の助けもなくても、こんなにも生命力に満ち溢れているのだろう…」毎日楠の木を見上げるうちに、洋一の心に、風の音に混じって声が聞こえたような気がした。『我は一人ではない』と。ハッとして足元を見ると、そこには無数の草や虫、小さな生き物たちが互いに寄り添い、豊かな土を作っていた。「そうだ…森だ。この木は、この豊かな森そのものに生かされているんだ」

その日から、洋一の挑戦が始まった。ミカンの木の周りに、いろんな種類の草を生やし、虫たちが住めるように枯れ葉や枝を置いた。畑を、小さな森に変えようとしたのだ。「ミカンの木も、きっと仲間がいた方が嬉しいはずだ」夕子も、そんな洋一を信じて手伝った。

雨の日も、灼けつくような夏の日も、二人は畑の手入れを続けた。すぐに結果は出ない。周りからは笑われることもあった。何度も心が折れそうになったが、そのたびに二人は、あの大きな楠の木を見上げた。「あきらめないで」楠の木が、どっしりと構えてそう励ましてくれているようだった。

そして、十年という長い、長い年月が流れたある春の朝。新しく植えたミカンの苗木が、天に向かって力強い緑色の新芽をぐんと突き出しているのを二人は見つけた。それは、長い沈黙を破ってようやくあげた、生命の歓喜の叫びのようだった。洋一と夕子は、ただ黙って涙を流した。

燦燦農園は、たくさんの命が響き合う、豊かな小さな森へと生まれ変わった。ミカンの木はもう一人ぼっちではない。大きな楠の木が教えてくれた、自然と共に生きるという大切な答え。洋一と夕子の畑には、今日も優しい太陽の光が降り注ぎ、新しい命の物語を紡ぎ続けている。。